自然なトイレの話・・・

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窓に雪が張り付く外は吹雪

「自然とマッチしたトイレ」と「現代的なトイレ」は、

「自宅出産」と「病院出産の違い」に似ている?

 

私たちがいつも使うトイレは、

白壁で陶器製の便座。

 

冷たいイメージがある。

 

一方、自然素材の昔ながらのトイレを覚えていますか?

 

今日、ポットン便所で用を足しました。

 

出しながら「自然だな」って思って、

なんか、いい感じなんです。

 

臭さは、気になりません。

清潔感には欠けるのかもしれないけど、

そんなに綺麗である必要性も感じないから、

いいんじゃないかな?

 

懐かしいって思った。

 

昔、

外に厠がある家に泊まったことがある。

 

両親の田舎とか、

その親戚とかの家だったと思う。

 

そういえば、

徳島の祖谷に行った時のトイレも、

外にあった記憶がある。

 

祖谷の旅で思い出すのはこの3つ。

 

一つ目は、泊まった民宿で、

翌朝、「大量のうんこ」が出たこと。

 

前日に食べた、

黒っぽい蕎麦の「繊維のおかげ」かなと思ったりする。

 

明らかにつなぎを使っていない、

100%そば粉?

って感じで、

麺の長さも短めでマチマチだった。

 

弾力があって、そば特有の味で、

味付けも好みで今でも時々食べたいと思う。

 

2つ目は、

シラクチカズラ」で編んだ「吊り橋」にビビったこと。

 

私は、高所恐怖症。

 

細い角材をつなぎ合わせた橋は、

華奢に見える。

角材の幅が狭くて、カズラでつないだ間隔の方が広い。

 

吊り橋は、宙に浮いている感じがして、

とても、渡ろうという気になれない。

 

眼下の谷底を流れる川はいくつもの岩の間を勢いよく流れている。

 

落ちたら一巻の終わり?

 

地面から橋に、一歩踏み出すのに、

相当の勇気が必要だった。

 

橋に体重を移動させた瞬間、

橋は大きく揺れた。

 

足がすくみ、足元の隙間から落ちそうだ。

手すりにしがみついたまま動けない。

 

多くの観光客が渡っていると、橋は、じっとしていない。

常に揺ら揺らしているので、たまったものじゃない。

 

「あー、怖かった!」

 

ところで、

その橋を無事に渡ったのかどうか全く覚えていない。

 

3つ目は、

急な山を登ったこと。

 

確か、汽車を「祖谷溪」の最寄り駅で降り、

バスに乗り換えた。

 

そのバスで、上へ上へと、ひたすら山道を登った。

 

着いた先は空気が澄んで緑豊かな場所。

そこに私と女友達が泊まった民宿があった。

 

ちなみに、

祖谷は、山があって、谷が深くて、

峠があって、秘境と呼ぶにふさわしい。

 

「平家の落人が隠れ住んだ場所」というのもうなずける。

 

寒暖の差が激しく、そばの栽培に適しているそう。

 

平家の人たちは、蕎麦を食べて長生きしたのかな?

なんてことが気になりますが、

祖谷の話はこれくらいにして、

 

「ポットントイレ」の話に戻ります。

 

ドアに向かってしゃがんでいて思った。

 

「なんて落ち着くんだろう」

「どこが?」と自分に尋ねる。

 

ドアと壁の間に隙間があって、

外と内の空気がつながっている。

 

解放感というか、自然との一体感を感じる。

 

よく見れば、年代物の建物だ。

 

天井と足場とドアの材質は木材。

左右に目をやると「塗り壁」が剥がれ落ちて、

風情のあるレンガがあらわになっている。

 

ところどころ、いい感じに朽ちていて、

本当に、味わい深い。

 

昔々、家族全員が庭の隅のココまで来て、

用を足していたのだ。

 

後に、家の中にトイレが出来ても、

今日のような断水の時に使用してきたのだろう。

 

夕方、普段通り水が出るようになると、

「外トイレ」のドアは開かないように

釘で封印されていた。

 

多分、しばらくは、出番がないのだろう。

 

トイレの少し手前で、

ばあちゃんと10歳前後のお孫さんたちが、

庭で飼っている鶏に餌をやっているのを見て、

時の流れを感じた。

 

思うに、

おばあちゃんの若い頃は、

トイレの外装も内装も新しかったのだろう。

 

ウンコを出すことは、当たり前のこと。

それが時代が進んで、困難になった。

 

出産とウンコを出す行為は、

似ていると思った。

 

寝たままとか、

便座に腰を下ろしてとか、

体勢としては出にくいと思うのですが・・・

 

ということは、

置いておいて。。

 

出産は、病院の支配下に置かれるようになってしまった。

 

昔のように、子沢山の場合、

どうするのでしょう?

 

その度に、毎月、病院に検診に行って、

入院する時には、豪華な食事だとか

個室だとかにこだわったりして、

出産が、一大イベント化したように思える。

 

病院の手術室のようなところで子供を産む行為と、

冷たいタイルに囲まれた

近代的なトイレでの排便がリンクした。

 

病院の分娩室も冷たくて、ライトアップされて、

恥ずかしい姿勢をとらされて変な感じだった。

 

経験した人はわかると思うが、

冷静に考えると、

出産前後は違和感だらけ。

 

難産と便秘。

 

関係あるような無いような。

 

生物らしく、動物らしく、

人間らしい分娩を一度は経験してみたかった。

 

ストレス、心のあり方などが、

心身に及ぼす影響は計り知れないことを感じる今日この頃。

 

環境を変えればウンコは出る!

 

そんなことを思いつつ、

今日は、

とても、趣が感じられる小屋に出会った日。

 

市場に出かける15時頃から粉雪が舞い始め、

夕方からは本格的にふぶき出した。

 

ふと、窓を見ると、ガラスに雪が張り付いている。

 

それにしても、

トイレの環境って大事なんだな。。。

 

 

Chamomile

 

 

 

寒冷地の居心地の良さ

寒いところは嫌いだ。

雪なんてとんでもない。

 

でも。。。

 

窓を開けると外は雪景色。

幸いにも一昨日からのポカポカ陽気で、

雪の量は少ない。

 

なんだか、寂しいな。

 

すっかり雪国に慣れてしまった。

とは言っても、真冬はこれからだから、

今は、序の口って感じなのかもしれない。

 

今日は、寒い国の良さを発見して、

ちょっと興奮気味で過ごす日常をシェアしようと思います。

 

否応無しにやってきたところは、

雪景色だった。

 

吹雪が出迎えてくれて、

周りの山脈は真っ白。

 

突然、雪山に囲まれ、

不思議な感覚で、当然のように雪道を行く。

 

歩いて歩いて、

泊まるところは、

現地まで行って直談判がいい。

 

宿の雰囲気も分かるし、

値切ることもできる。

 

最安値を見つけたら、

その値段で、別の宿に行って交渉すれば、

大抵はまけてくれる。

 

気がつけば、1週間以上滞在していて、

ホステルが、親戚の家のように感じる馴染みよう。

 

最初は、外食をしたが、

三日目くらいからは、家ご飯が恋しくなり、

今では、市場に買い出しに行くのが日課になっている。

 

3~4日前は雪が本気で降っていて、

牡丹雪も、粉雪も、一個の塊が大きい大きい。

 

どちらも結構乾燥しているので、

誰も歩いていない積もった雪の上をついつい歩いてしまう。

 

「子供か!」

 

そういえば、最初の頃、

雪を踏みしめた時の音に、

「イーッ!」となった。

 

キュッキュでもなし、

サクッサクでもない。

 

靴の裏から体重が雪を押さえつける。

 

「あーっ!」

と、その音にいちいち反応してしてしまう。

 

キャ・キ・キュ・ケ・キョ、

サ・シ・ス・セ・ソ的なニュアンスの音。。。

 

表現が難しいが、好き嫌いというより、

強制的にずっと聞かされ続けたら、

精神、神経、気がおかしくなるレベルだ。

 

しかし、あれから数日がたち、

環境に馴染んできた。

 

雪に靴がめり込む音は、さほど気にならなくなった。

 

今は、雪国のいいところを満喫している。

 

家の中が暖かい。

 

寒がりの私は、

北海道の人に出会うと「冬は、寒くないですか?」

とすぐに聞いてしまう。

 

その時、「家全体を暖房するので暖かい」

と言うのを聞いたことがあって、

「そんなんだ。。」程度の知識は持っていた。

 

それでも、北海道は寒い、雪、氷、冷たい。

 

そんなイメージがこびりついているためか、

一度も本気で行きたいと思ったことがない。

 

「北海道にも冬以外の過ごしやすい季節はありますよ」

それはそうでしょうけど、なぜか、

北国は敬遠してきた。

 

ところが今、

セントラルヒーティング的な、

家全体が暖かい環境がスッカリ気に入っている。

 

今までの、私の冬は、

暖房器具が悩みのタネだった。

 

灯油は、空気が汚れるし、

エアコンは、足元が冷える。

 

パネルヒーター的なものは、

確かに快適だけど、

電気代がバカ高になる。

 

私は、遂に、遠赤外線の、

ナチュラル・ヘルシー」なヒーターを手に入れて、

寒冷に耐えられない時間帯だけに電源を入れるようにしていた。

 

でも、ホカホカなのは

ほぼその部屋だけなので、

今の過ごしやすさに比べると

比較にならない。

 

なんで、外は冷気なのに、

ここはいつでも暖かいのか。

 

不思議なくらいに、

暖房の心配をしない生活を送ることができる。

 

外出して家のドアを開けるたびに、

そこは、「温室」か「天然の南国」のようだ。

 

 

毎年、何十年と繰り返してきたのは、

寒い、冷たい、底冷えのストレス。

 

冷気との戦いに疲れる、気が散る。

まともに、物事に集中できない。

 

オコタに入ると寝てしまうし。

 

そんなことを考えると、

雪国の方がかえっていいではないか。

 

日課としては、長時間、外に居るわけでもなく、

圧倒的に屋内にいる時間の方が長い。

 

室内の居心地は大事だ。

 

住めば都、

「雪かき」などのリスクさえ無ければ、

雪国、ウェルカム。

 

っていうか、こっちから、進んで住んでみたい。

 

今のところ、マイナス気温の時にも、

ランニングシャツヒートテックの下着と、

長袖Tシャツの上にウルトラライトダウンを羽織って、

腰に、ひざ掛けを二枚巻いて出かける。

 

ただ、露出しているところは痛冷たい。

手の指先、鼻、耳、口の周りがこわばる。

 

夕方からは気温が下がるので、

必要以上に長時間出歩いていると

凍えてしまうかもしれない。

 

そんなことも実際に体感して覚えた。

 

昨日は、新しいことを感じた。

 

夕方買い物に出かけようと、外に出た瞬間、

空気のヌルさに拍子抜けしたのだ。

 

知らず知らずの内に、

冷気を期待しているんだなと思った。

 

「肌に冷やっとする感覚の心地良さ」

を、知ってしまった。

 

室内全体が暖かいからこそなのかもしれない。

 

雪国最高!

 

と言いつつ、

市場への往復の途中から、

私の鼻は、やっぱり、真っ赤っかになった。

 

毎年、年末限定のハーゲンダッツアイスクリームを買い、

オコタで食べるのが楽しみという話を聞いた。

 

私はそんな年末の楽しみ方を知らなかった。

 

私の周りでも、

「冬になるとアイスが食べたくなる」

という声が聞こえてくる。

 

で、

スーパーのカゴに最後に入れる商品は、

いつもアイスクリームが定番。

 

Chamomile

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さんはプライベートシェフ!

プライベートシェフっていいね!

 

今は、プライベートシェフって感じがする。

 

ある日本人のマクロビオティックシェフがいて、

世界的に有名な歌手のツアーに一緒に付いて回っていた。

 

何かの本でそのことを知った時、

「いいな。。。」

って思った。

 

私は、基本、料理に関心があるが、

料理人というか、身近な人、友達とか、

料理上手な人がいたら、

「いいな。。。」って思ってしまう。

 

そして、いつしか、

料理上手な人を尊敬するようになった。

 

自分も、料理が上手になりたい、

もてなし上手になりたい。

 

実際には、全然、人を呼んで

ご飯を振る舞うなんてしない。

 

でも、なぜか、料理上手に憧れ、

プライベートシェフっていう仕事を

やってみたいと思ったのだ。

 

で、ひょんなことから、

初めて、大家族のために

食事を作るようになって半年がたった。

 

どんな仕事でも同じだと思うけど、

私が作らなきゃ1日が回らないというプレッシャーの中、

「いつが休み」というような決まりのない世界でやってきた。

 

いろんなことがあって、今は、

「これってプライベートシェフかも」

って思える環境にいる。

 

一言でいえば、楽。

 

とは言え、

結構調理に時間がかかっている。

 

食材の買い出しも時間がかかる。

市場は2箇所行くし、

スーパーにも行く。

 

メニューを考えたりして、

私の一日のうちで、

ご飯に費やしている時間は多いと思う。

 

でも、食べる人から、

私が作るものに対して、

文句が出るわけでもなく、

好き嫌い、あーだこーだはない。

 

食事時間とか、細かく、指図もしない。

 

私の料理を食べる人は、基本、

仕事に完全フォーカスしている人なので、

私は私の仕事に没頭できる。

 

私の先生は、

ご飯を作る人に感謝、

食材に感謝と教えてくれた。

 

私も、食いしん坊だから、

食べたいものへのこだわりがある。

 

「だから自分で作る」というところもある。

 

もし、自分の好みのものを作ってくれる人がいたら、

私は、食べる方に回りたい。

 

でも、今のところ、

私は、そんな環境にはいない。

 

自分は作らないのに、美食家で、

偏った知識を主張する人は嫌だ。

 

あれこれ要望が多すぎて、困る。

 

「自分でやれば早いのに。。」と言いたい。

 

逆に、食べ物のことはあまりわからない、

細かい味の違いもわからないと言い、

でも、美味しいとか食材の良し悪しは

なんとなくわかる。

 

とかいう人が今、身近にいて、

喜んで食べてくれるので、

作ることへの外からのプレッシャーはない。

 

その人は、お菓子系も好きだ。

例えば、初めて食べたチョコレートの味や食感を、

過去によく食べていたチョコの商品名で表現する。

 

私には、わからない名前ばかり。

 

で、

「明日のメニューは、こうです」

と話すと、

「楽しみですね」と目を輝かせる。

 

トッピングのハーブ類を用意すると、

積極的に摂取。

 

スープや、メインディッシュの上に、

無造作にのっけている。

 

食事が進むにつれて、

「栄養が摂れて元気が出た」とか、

 

本当に、エネルギーが切れて、

ヘトヘトになったりするそうで、

「倒れそうだった」とも言ったりした。

 

で、

栄養が満たされたとか、

食べて元気が回復した、とか、

ご飯を食べながらつぶやく。

 

要は、料理に関して一切の注文をつけない。

こんなやりやすいことはない。

 

一度、

「何か食べたいものはないですか?」

と尋ねると、ちょっと考えて、

「生姜」とこたえた。

 

その生姜がなかなかなくて、

今日、ようやく見つけて買うことができた。

 

買い物から帰って、早速、

ジンジャーティーをいれた。

 

おろし器が無かったから、

生姜は、細めの千切りにした。

 

「少し量が足りないかな」

と思いながら飲んでみると、

結構、味が濃厚だった。

 

香りも強くて、かじったら辛くて、

生姜の特徴がしっかりと出ていた。

 

飲んだ人も、

かなり、気に入ってくれたようだ。

 

「今日は、生姜も食べたし、

唐辛子も食べたし、体もポカポカ」と、

夕食時、満足げに話していた。

 

やっぱり、

少人数の食事を作るのがいい。

 

キッチンにある鍋の大きさも、

ちょうどいいのでやりやすい。

 

例えば、

一般的な家庭用のフライパンで、

大人数の肉を焼こうとすると、

一度では済まない。

 

なんども同じことを繰り返さないといけない。

すごく、時間がかかるのだ。

 

でも、今は、

こじんまりと料理をしている。

 

最近のこと、

レストランで食べて、新しい料理を覚えて、

今度は、自分で作ってみた。

 

家で作るときは、調味料もセーブするし、

今ある調味料だで作るので、

完全に再現はできないんだけど、

それでも、それらしいものは出来上がる。

 

それが嬉しい。

 

市場に行くと、

いろんなテイクアウトの食べ物が目に着く。

 

全部試してみたくなる。

 

で、肉の炭火焼だの、

デニッシュ生地の中に、チキンが入ったのを、

買ってみたけど、

期待したほどのことはなかった。

 

外食でその場で食べるのはいいけど、

買って帰って、

家ご飯の一部として食べると美味しく感じない。

 

今日もそうだった。

具沢山の肉スープをメインに、

肉と玉ねぎのオムレツ。

 

トマトサラダ、きゅうりのチキン和え、

飲むヨーグルトクリームチーズ

主食はパン。

 

そうすると、お惣菜パン的なものは、

くどく感じて、食べたいと思わないのだ。

 

やはり、シンプルなパンが欲しくなる。

 

そんな感じで、

明日も、揚げパンを買う予定だったが、

やめることにした。

 

単純に、主食はジャガイモ。

 

ジャガイモ入りのスープに、

ポテトサラダ、今日、

肉を下ゆでして刻んだものがあるから、

それで肉じゃが風煮物を作る。

 

あとは、じゃがバタかな。

 

明日は、ジャガイモ尽くし。

 

あとは、ニンニク、生姜、唐辛子、

そして薬味をたっぷり使う!

 

冷蔵庫に、ディルと香菜とネギが残っている。

 

生姜と赤唐辛子を一緒にとると、

血液の循環が良くなる。

 

どっちがどっちかは、忘れたけど、

どちらかが、血液を身体の末端まで行き渡らせて、

どちらかが、心臓に血液を戻す作用がある。

 

なので、生姜と唐辛子の両方取ることで、

血液がぐるぐる回るのだという。

 

それに加えて、

殺菌、強壮の「ニンニク」

 

ニンニクと生姜と唐辛子を

毎日の食事に取り入れることで、

病気の予防になる。

 

食べたものが人間を作る。

精神や感情や肉体に大きく影響を及ぼす。

 

ご飯ってやっぱり大事。

 

食材の状態と、作る人の心と、

食べるときは「和気あいあい」、

リラックスして食べるのが

いいと思います。

 

単なる食堂のおばちゃん、

女中さん、小間使いというより、

プライベートシェフとして

料理をする。

 

お母さんってプライベートシェフなんですよね。

 

そんなここを感じた今日でした。

 

 

Chamomile

 

 

 

 

 

オナラとウンコが一緒に出ることの喜び!

 

 

ウンコかなと思ってトイレに行くと、

オナラしか出ない。。

 

そんなパターンにウンザリ、ガッカリを繰り返してきた。

 

ところが、ある日、ウンコは出ないかも?

という予想に反して、

オナラの間にウンコがうまい具合に挟まって

ウンコとオナラが同時に噴出した。

 

ガスだけで終わることなく、

一緒に出て来ることがあるんだ!

 

「へー?!」

 

新たな発見であり、

珍しい体験だった。

 

身体の神秘を感じる。

 

面白い。

 

排便に関しては、ここ半年、

いろんなことを試す機会に恵まれた。

 

4つぐらい便秘に良さげな体験をした。

 

一つ目は、ある現地特有のお茶に出会って、

勧められるまま飲んでみたら、

ウンコが出た。

 

そのお茶を毎日飲んだら、

ウンコも毎日でた。

 

二つ目、

あるフルーツジュースを飲み始めた時、

夜、毎日決まった時間に飲んでいたら、

飲んだ後、1時間以内に排便があった。

 

でも、昼に飲むようになったら、

ジュースを摂取した後の排便の習慣は無くなった。

 

3つ目は、炭酸水を飲むようにしたら、

お通じがあるようになった。

 

4つ目、

前日に「飲むヨーグルト」を摂ると翌朝

便意が来やすいように感じている。

 

また、

この街に来てすぐ、カフェでコーヒーを頼むと、

カフェオレが出て来た。

 

マグカップにたっぷり注がれたコーヒーをいただいて、

しばらくしたら、お腹が痛くなった。

 

「もう我慢できない」

 

外のトイレまで急いで行って、一気に排出した。

スッキリした。

 

便秘だったので、ちょうど良かったし、

このタイミングにトイレのあるところに居て良かったとも思った。

 

牛乳を飲んで、下痢っぽくなるのは、

久しぶりだった。

 

便秘の時には、ミルクを飲むといいのかな?

 

ミルクには、

大人になると、消化できない成分があるらしい。

 

で、身体も慣れて来るらしくて、

以前、牛乳での便秘対策は、

いつもいつもは効果がなかった。

 

また、その牛乳の状態にもよるのかもしれない。

 

搾りたてかどうか鮮度の問題、

加熱殺菌処理が施されているかいないか、

何のお乳か、牛かヤギか、羊か、馬か、

そういえば、馬乳は聞いたことがないけど。。

 

それから、

水やお茶など、飲み物に関して。。

便秘で悩んでいる人は、水の摂取量が少ないという話がある。

 

自分を振り返ってみて、

確かにそうだなと合点が行く。

 

私は、水を飲むとなぜかすぐに排尿したくなる。

 

なので、朝起きがけ以外、水はほぼ飲まない。

 

遠くに出かける場合には、

念のため500mlのペットボトルを持参するけど、

よほど、喉が乾かない限り飲むことはない。

 

それに、飲んで美味しいと思う市販の水は、

今まで、なかったかもしれない。

 

ところが、ある国で炭酸水というものを飲んでみた。

 

美味しくてゴクゴクいけてしまう。

 

ガスの入っていない水は、

食道や胃の上部あたりで、

つかえる感覚があって、

 

できれば、

飲みたくないと思う。

 

なのに、炭酸水は、すごく美味しい。

 

もちろん、砂糖は入っていないし、

他の味付けもしていない。

 

コカコーラやファンタなどの炭酸飲料とは

全く違うものだ。

 

炭酸水がこんなにご馳走に感じたのは、

世紀の大発見だった。

 

あなたにも、一度お試しいただきたい。

 

やせ我慢ではなく、炭酸水は、

嗜好品に代わる飲み物だ。

 

是非、起きがけに飲んでみて欲しい。

 

本当に、朝一から、美味しいものを飲んで、

満足感から1日がスタートするのだ。

 

で、

「病は気から」と昔の人の言い伝え通り、

便秘と心の状態との関わりを、

そうだろうなと感じつつ、

 

 

今日は

この辺で、

さようなら。。。

 

camomile

 

 

 

 

ラッキーなことはアンラッキーの後にやってくる!

天国を知るためには、

地獄も必要!

 

戻りたくない、、、

今の環境は天国だ。

 

もう、あそこには帰りたくない、、、

 

でも、待てよ。

 

そんなこと言っていいのかな?

 

はてな

 

今が天国と思えるのは、

あそこの経験があったからじゃないか。

 

そうだ、天国と地獄はセットなんだ。

 

地獄を受け入れるから、

次は天国が訪れる。

 

地獄を避けていたのでは、

天国はいつまでたってもやってこない。

 

地獄に飛び込み、直視し、

乗り越えた先に、

必ず、次に来るのは天国なんだ。

 

良いこと、ラッキーなことがあった時

いつも思うのは、

 

「そういえば、良くないことあったよね」

「辛かった」

「悲しかった」

「苦しかった」

 

悪いことが起きて、

次に、良きことが起きる。

 

逆に、良いこと、ラッキーなことに

あぐらをかいていると、

次に来るアンラッキーなことに、

飲み込まれてしまう。

 

「勝って兜の緒を締めよ」

 

という、ことわざがある通り、

幸せを味わいつつも、

次に来る試練、地獄に

備えなくてはならない。

 

私も、ついつい、天国ボケ、平和ボケしてしまうけど、

気を引き締めていかねばと思う。

 

自分のやるべきことを明確にする。

毎日のルーティンを欠かさない。

1日1ミリでも進化する。

 

今日は、何をやったかな?

新しい料理に挑戦した。

 

3品作った。

 

調味料を最小限にして

美味しくできた。

 

発見もあった。

スーパーで、美味しいクリームチーズを見つけた。

パンにも、スープにも、トマトにもよく合う。

 

今日のご飯の評判はとても良かった。

「お店が出せるね」

と褒められた。

 

自分も満足した。

 

でも、自惚れてはいけない。

忘れてはいけない。

上には上がいることを。

 

使った食材に恵まれ、

味の濃い野菜と塩と辛み調味料が、

助けてくれた。

 

隠し味のケチャップも

役立った。

 

上を目指そう。

満足せずに。

 

自分なりに前に進もう。

1ミリでも上に登ろう。

 

自分の山をジワジワ高くしよう。

小さくても努力と結果を積み重ねよう。

 

山なら地層、大木なら年輪。

一個一個、増やしていくイメージ。

 

人生の全体像は、

努力と辛抱の地獄かもしれない。

 

でも、所々で、ご褒美の天国タイムがある。

 

骨休みというか、突然やってきたりする。

 

「神様は見ている」

 

年齢を重ねると、そう思う頻度が増える。

 

よくわからないけど、

心は大事。

 

こころ・・・

 

思うような人生を築くには、

時間が足りない。

 

やりたいこともいっぱいある。

 

でも、肉体的というか、時間的というか、

私たちには、タイムリミットというものがある。

 

だから、

目標を決める。

的を絞る。

 

今世の続きは来世でやる。

来世の続きは次の来世でやる。

 

つまり、人生というか、

自分の道は永遠に続くということなのかな?

 

camomile

 

 

 

 

 

 

これぞ市場にて!

今日は、ある国でバザーに行ってきた。

どんなバザーかというと、

洋服、日用品、食料品まで売っているところ。

 

昔ながらの込み入った商店街って感じで、

「これぞ市場!」って感じましたね。

 

感動と恐怖と好奇心がくすぐられ、

特に、屋台的な食べ物屋さんに興味がありました。

 

麺とか、揚げパン的なものとか、

蒸しパン的なものとか、色々あって、

小さな店内で気軽に食べられる雰囲気。

 

そして、調理しているのが、

お母さん風の人達なのも、

親しみを感じる。

 

家庭料理っていうか、おやつっていうか、

欲しいものが多すぎて、

今日は買えなかったけど、

明日、ゲットしようと思います。

 

テイクアウトのお店やさんは、

ちゃんと屋根があるけど、

屋根のないパン屋さんがあってビックリしました。

 

近くに3軒も4軒もかたまっていて、

その土地に伝わる特徴的なパン。

同じような形のパンが山積みになっている。

 

あたり一面

香ばしい匂いが立ち込めていて、

本当にテンションが上がる。

 

この地方のパンは、基本、甘くないのがいい。

珍しく、菓子パンを見つけたんだけど、

2種類くらいしかなかった。

 

一個、買って帰った。

中味は、少し酸っぱいジャムっぽかった。

 

フルーツか何か良くわからない。

そんなにたっぷりとは入っていない。

 

あと珍しかったのは、

一見、韓国のチヂミのように見える薄っぺらいパン。

具は、緑色の野菜だと思う。

 

主食にするようなパンを売っているお店が

向かい合っていて、

その目と鼻の先には、

平たいパンに砂糖をまぶしたものが見えた。

 

そこも、明日偵察に行くつもり。

 

バザーに入ってすぐ、

手作りパンの山が見えた時、

「オー!」と思った。

 

笑顔のまんま前に進むと、

洋服屋さんが多かったけど、

その先には、軽食屋さんが何軒もあった。

 

やはり、私の興味は、食べ物。

 

ここは、物価が安いので、

日本で言うところのワンコインで

ご飯はお腹いっぱい食べられる。

 

明日の買い物が楽しみ。

 

露天で串刺し肉の炭火焼を見つけた。

 

赤くいこった炭の懐かしさと、

良く考えれば、

なんと贅沢な調理法なんだろう。

 

肉は、柔らかいのだろうか?

牛肉か、羊肉か、まさか馬ではないと思うけど。

 

とにかく、

その時の映像が目に焼き付いて離れない。

 

大量のパンに感動し、

屋台のメニューに興味津々、

好奇心を抱いたままバザーを後にした。

 

そうそう、

肉売り場は、恐怖でもあった。

 

入り口には、豚足?

その先には、羊毛を剥いだ肉の塊が2体、

テーブルに横たわっているし、

一体は後ろにぶら下がっている。

 

部屋いっぱいに並んだ

細長いテーブルの上には、

肉肉肉肉、内臓も、、、、

 

肉を見て、

「牛肉か?」

と身振り手振りで尋ねると、

 

「ヒヒーン」と売り場のおっさんは言った。

 

いやはや、

特に、肝臓とか、内臓の前を通るときは、

そのものを、とても直視できなかった。

 

でも、なぜか、臭くない。

 

私は、ある国のスーパーの肉売り場で、

気持ちが悪くなった経験がある。

 

スーパーを出て、バスを待っている時、

肉の異臭が鼻をついた。

 

何かと思ったら、洋服に染み付いているのだ。

 

洗濯をしないといられないくらいの臭さだった。

 

で、今日、買った肉は、全く臭くない。

 

「スープの良いだしが取れるといいな」

なんて考えながら肉の塊を切っていて、

「ギョッ!」とした。

 

美容院に行った後、短い髪の毛が

顔とかについているけど、

そんな感じで、肉に毛がついたままだ。

 

その部分を、

切り取ったり、洗ったりしたが、

リアルすぎて、気持ちが悪かった。

 

牛さんの黒い毛、、、

 

肉売り場に入る時、

柔和そうな「おばさま」に声をかけられた。

 

「トーキョー?」

「さよなら」

 

二つの言葉を言い残し、

とても、にこやかに、礼儀正しく、

満足げに、去って行った。

 

camomile

 

 

 

10年後の居心地を良くするために!

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今日の一言

 

「居心地が悪い」は、居心地が良い。

「居心地が良い」は、居心地が悪い。

 

何故なら、

居心地の悪いところでないと人は成長できないから。

 

居心地が悪いとは、常に気が抜けないということ。

 

 

私は、居心地の良さを結構求めている。

 

例えば、カフェでくつろぐ場合、

座り心地の良い椅子に座りたいと思う。

 

数年前、横浜の、あるスタバに入ったことがあるが、

あいにく混み合って居て、相席だったにもかかわらず、

私は、ソファの座り心地に満足したのを覚えている。

 

左右に肘掛が付き、生地は光沢があって、

触り心地の良いビロードのよう。

 

私は、そのソファにすっぽり包まれながら、

「スタバと同じソファが欲しい!」

と思った。

 

注文したコーヒーの味は覚えていないが、

ソファの心地良かった印象は今でも忘れない。

 

見た目は小さいけどサイズ感がピッタリだった。

 

窮屈でもなく大き過ぎることもなく、

一脚のソファが自分だけの空間だった。

 

いい感じで、私は身を任せて居た。

 

そいつは、

頼り甲斐のあヤツだった。

 

そいつの右肘掛け部分に寄りかかって、

私は、店全体を見渡した。

 

店内は満席。

 

席を確保したお客さんたちは

悠然としていて、

 

当分、

自分の椅子を手放す気はなさそうだった。

 

私が座れたのは運が良かったというか、

お一人様だったから、

タイミングが良かったのかもしれない。

 

私は、もっと長居したかったが、

娘との約束の時間が迫ってきたので、

早々に、自分だけの空間を明け渡した。

 

本当に、後ろ髪の惹かれる思いだった。

 

明らかに公共の場なのに、

プライベートが保たれていた。

 

あれは、どこのスタバだったのだろう?

 

大船かな、今度行ってみようと思う。。。

 

 

で、冒頭の話に戻るが、

簡単に言ってしまえば、

座り心地の良いソファに座り続けると

居眠りするのがオチって感じ。

 

居心地が悪いと、

なんとかしようと頭を使うようになる。

 

少しでも居心地を良くしよう思う。

 

なんとかしようと思わないような、

自己成長欲や前向きでない人の場合は

論外だけれども、

 

とにかく、

ジレンマを抱えている。

 

そこに居続けることは

並大抵ではないかもしれない。

 

でも、過去よりも、現状よりも、

良くなりたいなら、

成長したいなら、

目の前の問題を直視することが重要。

 

乗り越えたい問題を直視して

たった1ミリでも進化できる、

小さなアクションでもいいから起こす。

 

それを続けること。

 

諦めない、逃げ出さない。

 

一気に飛躍しようと欲張るから、

失敗する。

 

ウサギとカメの話は平凡だけれども、

真実を突いている。

 

成功者に話を聞くと、

日々の小さな努力の積み重ねが大事だと教えてくれる。

 

スキルを磨くこと、健康を保つこと、

緊張感のある環境に自らを追いやる。

 

かつ、

平凡で退屈なルーティンを毎日自分に課して

生きるか、

 

楽して生きるかは、

自分の勝手。

 

私は、人間的にも、スキル的にも

もっともっと成長したい。

 

進化した方が、家族にも、社会にも貢献できると思うから。

 

一人より10人、10人より100人、

100人より1000人の役に立ちたい。

 

居心地の悪いところで頑張って、

将来、自分の理想に近い

居心地の良い環境をを手に入れる。

 

だから、今は、居心地を良くしてはいけない。

人間、満足してしまったら、

努力する必要がなくなるから、

進化が止まる。

 

そうなると、

私の未来の居心地が

すこぶる悪くなってしまう。

 

だから、

今、居心地が悪いということは、

進化できる環境にいるということ。

 

それは、ある意味、

一安心であり、居心地が良い。

 

camomile